【40代教員の退職カウントダウン84:退職まで残り3年5ヶ月】
はじめに
先日、前の職場の後輩から「辛いから話を聞いてほしい」という連絡をもらいました。
職場ではなかなか愚痴をこぼせず、転勤した私がちょうどいい距離感だったのだと思います。
特にアドバイスをするわけでもなく、お酒を飲みながら、ただ「うんうん」と頷いて話を聞き続けました。

「忙しいのはみんな同じだから」「自分だけつらいなんて言えない」
そんな思いを抱えて、黙って仕事を続ける先生を、私は何人も見てきました。
その結果倒れてしまう先生たちも。
倒れてしまう先生は、単に“忙しい先生”ではありません。
まじめで、責任感が強く、誰よりも子どもを思っている人ほど限界を迎えやすいというのが私の見立てです。
そこで今回の記事では、教務主任として先生方の相談に乗ったり、現場のリアルを見てきた立場から、「なぜ先生がメンタルをすり減らすのか」を考えてみたいと思います。
私は40代小学校教務主任(担任兼務)、2028年度末に正規教員を退職予定です。
詳しくはこの記事をどうぞ→【私が退職しようと決意した具体的経緯】
本当に原因は“忙しさ”なのか?
学校は常に忙しい。授業、行事、会議、保護者対応、記録物……仕事はいくらでもあります。
ただ、倒れてしまう先生が全員、特別に仕事量が多かったわけではありません。
同じ仕事をしていても、心をすり減らす人とそうでない人がいる。
つまり、原因は「忙しさ」そのものではなく、“忙しさの中で何を抱え込んでいるか”ではないでしょうか。
教員がメンタルをすり減らす本当の原因
① 「頑張り続けなければ」という思い込み
先生という仕事には、終わりがありません。
授業をよくしたい、学級を整えたい、子どもや保護者に寄り添いたい――。
「〜したい」だけでなく、「〜しなければならない」も本当に多い仕事です。
そして、そんな思いが強い先生ほど「止まること」「休むこと」に強い罪悪感を覚えます。
けれど、どんなに理想を追っても、人にはエネルギーの限界があります。
エネルギーが尽きてしまえば、さらに大きな罪悪感に襲われ、心は休む場所を失ってしまいます。
止まることは怠けではなく、回復のための行動です。
私自身、実は若い頃に何度か「ズル休み」をしました。ドライブに出かけたり、一日中ゴロゴロしてゲームをしたり――。
当時は罪悪感もありましたが、今振り返ると、あの休みがあったからこそ続けてこられたのだと思います。無理をして倒れていたら、職場にも子どもたちにも迷惑をかけていたでしょう。
あの休みは、結果的に自分と周りを守るための休みだったと思っています。

② 「助けて」が言えない文化
学校には、いまだに「自分で何とかする」「我慢する」ことを美徳とする空気が残っています。
特に若手の先生ほど、「迷惑をかけたくない」「弱音を吐けない」と自分を追い込みがちです。
私もできるだけ声をかけてきましたが、忙しさに追われ、気づけずに力を貸せなかったこともありました。
伝えたいのは、“助けて”と言える力もプロの力であり、“助けてくれる相手を見極める力もプロの力”だということです。
学校はチームで動く場所です。ひとりが限界まで我慢して倒れてしまう方が、学校全体のダメージはずっと大きいのです。
だからこそ、「我慢」ではなく「頼る」ことを大切にしてほしいと思います。

SNSで見かけた言葉に、こんなものがあります。
「日本では『他人に迷惑をかけるな』と教えますが、インドでは『あなたは人に迷惑をかけて生きているのだから、人の迷惑も許してあげなさい』と教えるそうです。」
私はこの言葉に大いに共感します。教員という仕事を続けるうえで、仲間の力は欠かせません。
私も教務主任として、迷惑をかけることを恐れず、他人の迷惑を許し合える職場をつくっていきたいと思っています。
③ 「自分だけは大丈夫」と思ってしまう
倒れてしまう先生の多くが、直前までこう言います。
「少ししんどいけど、大丈夫です」「休むほどじゃないんですけどね」
でも、その“もう少し”が、実は限界ラインを越えていることが多いのです。
私の感覚では、心が折れる瞬間は、仕事量の多さではなく、「孤独感」によって訪れることが多いと感じます。
「誰にも気づかれない」「誰にも理解されない」――そう感じたとき、人は一気にバランスを崩してしまうのです。
愚痴でいいと思います。弱音でもいいと思います。誰かにぶちまける勇気を、どうか持ってほしい。
そして、もし誰かがあなたの話を聞いてくれたら、次はあなたが別の誰かに寄り添ってあげればいい。そうやって支え合うことを、“恩送り”というそうです。
私も教員2年目のとき、学年主任の先生に愚痴を聞いてもらったときに、この言葉を教えてもらいました。あのときの「聞いてもらえた安心感」が、いまの私の支えになっています。だからこそ、今はできるだけ若手の先生の話に耳を傾けたいと思っています。これが私なりの恩送りです。
教務主任として見てきた現場の現実
私は教務主任として、多くの先生と向き合ってきました。
その中で痛感しているのは、倒れる直前の先生の中には、表面上は“しっかりしている人”が一定数いるいうことです。
授業もきちんとやっている。子どもとも良い関係を築いている。
でも、内側では、
- 誰にも相談できずに抱え込んでいる
- 睡眠時間がどんどん削られている
- 休みの日にも仕事が頭から離れない そんな状態が続いています。
そしてある日、突然限界を超える。
そこに至るまで、周囲が「大丈夫そう」と誤解してしまうのです。

もう一度言います、“助けて”と言える力もプロの力”、“助けてくれる相手を見極める力もプロの力”です。必ずあなたを助けてくれる先生はいます。誰かの力を借りることを恐れないでください。
誰かの力を借りてその年を乗り切ったら、次は誰かの支えになってあげればいいのです。
メンタルを守るためにできる3つのこと
① “頑張らない時間”をスケジュールに入れる
予定表に「休む時間」を入れるのは、立派な自己管理です。
休日だけでなく、平日の放課後にも、“何もしない時間”を意識的に確保してみてください。
教員から転職した妻は、「教員の数少ない良かった点は、教室という自分の城があったことかな」と話していました。
彼女は教室で採点するふりをして、一人でゆっくりと休憩していたそうです。
私自身も、上で書いたように計画的な“ズル休み”をしていました。
そもそも有給休暇は労働者の正当な権利です。休む理由を細かく説明する必要はありません。
体調不良と同じように、“心の調子が悪い日”にも休むことは当然のことです。

② 弱音を吐く相手を決めておく
管理職でも同僚でも、信頼できる友人でも構いません。
「この人には本音を話せる」という存在を持っておくことは、心のセーフティネットになります。
私も若い頃は、仲のいい先生や尊敬する学年主任に、校長への愚痴や保護者・子どもへの不満を聞いてもらっていました。
今の私にも、職場が変わってからも連絡をくれる後輩が数人います。
しんどいときに話を聞き合い、悪口を言い合いながらお酒を飲む――そんな時間が、実はとても大切な時間です。
とにかく、話を聞いてもらうこと。
それが、倒れる前にブレーキをかけるきっかけになります。

③ 「仕事以外の自分」を大切にする
趣味でも、家族でも、ペットでも構いません。
「学校の自分」以外の時間と場所を持つことで、心は自然とリセットされます。
仕事が人生のすべてになってしまうと、うまくいかないときに心の逃げ場がなくなってしまいます。私が新人の頃、尊敬する学年主任の先生にこんな言葉をかけてもらいました。
「この仕事は、子どもの健康・安全と人権侵害以外のことは、だいたい“ごめんなさい”で許してもらえるの。せいぜい怒られるだけ。クビにはならないし、給料も減らないから大丈夫。授業の準備が間に合わなくてもいい、書類の提出が遅れてもいい。今日は帰って遊んでおいで。」
この言葉を今でもよく思い出します。
「仕事を離れる勇気」も、続けていくための力のひとつなのだと思います。
おわりに
教員が倒れるのは、忙しさそのものが原因ではありません。
本当の原因は、「頑張りすぎ」「抱え込みすぎ」「頼れなさすぎ」にあります。教務主任として伝えたいのは、こうです。
「休むこと」「頼ること」「少し力を抜くこと」――それらは立派な仕事です。
学校は、一人の先生の熱意だけで回る場所ではありません。お互いを支え合ってこそ、子どもたちに安心を届けられる場所になります。
どうか、自分の心と体を大切にしてください。
それが、あなたが明日も子どもたちの前に立ち続けるための、一番の力になるはずです。



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